2011-03-11
自社待機で珍しく、昼飯に事務所の人達五人で牛たんを食べに行く。1.5倍の定食をみんなで食べた。
運命の時間、14時46分大地震発生。ビルの2階にいたが揺れが大きく、机に捕まっていないと耐えられない感じだった。揺れが収まりつつあると思い、出入口のドアを開けに行くがすでに開かない状態だった。
そうしている間も激しく揺れ続け、同僚の逃げろの声で携帯のみ慌てて持って別の出口から出て非常階段を通り、表へ出た。
幸い外壁が崩れていなかったため危険な目に会うことなく道路の中央に逃げることができたが、反対側のビルのタイルが落ちたりしてたので大通りの方へ移動、その間も揺れ続けていたため、あらゆるビルの人が道路に出ていた。街中がパニック状態だった。
大企業などは非常事態で避難所へ誘導していたり、ビル倒壊を恐れて広い駐車場に逃げている人も多かった。
着の身着のままだったので、荷物を取りに事務所に戻ったが危険なことだったかも。
親にメールをしたり他の事業所と連絡をとったりして16時までビルのそばをうろうろしていたが、余震の多さやビルへの立ち入りの危険さから解散となった。帰りは同僚と一緒に帰ってきたが、SS30のアンテナの先がなかったり、エンタツ駐車場の塔が曲がっていたり、仙台駅が通れないなど。そして帰る人の多いこと。
自転車も取り出せないだろうと歩いて帰ってきたが、雪が激しく降りだす始末。
生協によって食料を買っておこうと思ったが、すでに入店できず。店頭でかろうじて売っていたのでパンとカロリーメイトを購入。やまやではペットボトル6本の水を購入して帰宅した。
家に帰るとマンションのロビーに住人がすでに集まっていた。エントランスの床にひびが入り、壁のタイルが少し落ちていた。エレベーターは1階と2階の間で止まり使用できず。
荷物を持って9階までは上がれないのでロビーに置いて上がった。
部屋に入ると食器棚2つが倒れ、テレビ、HDDレコーダー、PC、シンセやオーディオユニットは吹っ飛び、コミックも大半が落ちていたようだ。
部屋には入れないのでブレーカーを落とし、ガスの大元の栓も閉じて1階に戻った。
1階でしばらく様子を見ていたが、余震も多く、電気もつかないため、避難所へ移動することになった。
避難所は近くの中学校で、すでに多くの人が避難していた。体育館の一角に場所を取り、寝ることが出来ない一晩を過ごした。